しよんの東御廻り(アガリウマーイ)



しよんでは、マース袋やシーサーストラップ、
中に入れるお塩と共に作家自身が東御廻り(アガリウマーイ)を行っています。


東御廻りとは、創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して
住みついたと伝えられる聖地を巡拝する行事です。
(詳しくはこちらhttp://www.kankou-nanjo.okinawa/tokusyu/view/agariumai


このページでは、その東御廻りで14ヶ所を廻った様子をご案内します。

機織工房しよんが2010年9月に南城市知念に拠点を移した当初から
東御廻りに行きたいと思っていました。
南城市に琉球の創生神にまつわる聖地が多いことや、近くに斎場御嶽があったこと。
また、南城市の神様方へ「よろしくお願いします。」のごあいさつに伺いたいと考えていました。


そして、しよんで制作している商品のパワーがさらに増すことを願って。


ガイドさんに同行を依頼し、2011年12月12日に1回目。
2013年3月7日に2回目
2014年11月27日に3回目
2016年4月14日に4回目
2018年4月5日に5回目
2020年4月2日に6回目
2023年4月6日に7回目の東御廻りに行ってきました。







東御廻りの旅

東御廻り
第一番目の拝所

園比屋武御嶽-ソヌヒャンウタキ -那覇市


東御廻り14か所の中で、唯一那覇市の拝所。
国家行事や祭祀と密着した聖地で、代々の国王が城外に出るときなど、この地で道中の安全を祈願して出発したそうです。
石門は、戦争で被害に遭ったのち1957年に復元し、その後解体修復されたそうです。
2000年に琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産にも登録されています。
わたしたちの通っていた大学がこの御嶽のすぐそばにあり、 通学中にもこの御嶽でお祈りを捧げている方をよく目にしていました。
観光スポットなので人通りも多い場所ですが今でも見かけられます。
園比屋武御嶽

第二番目の拝所

御殿山-ウドゥンヤマ/浜の御殿 -与那原町


与那原町与那原の川沿いにこの"御殿山"はあります。 いまは、川沿いですが…この川、昔は海だったそうです。
沖縄の各地に天女伝説がありますが、ここも天女が舞い降りた場所と云われています。 琉球王朝時代、聞得大君(琉球王国最高神女)の即位儀式(御新下りウアラオリ)の時に この地に仮御殿が建てられ儀式が行われたと云います。
また、国王や聞得大君が久高島(聖なる島)に詣る時に、 ここが舟の発着地でその時にも仮御殿が建てられたそうです。 現在は、久高島への船は南城市の安座間港が発着地です。 また、首里の御殿に納める材木を山原船(やんばるせん)が運んで来て荷下ろしし、 ここで保管したそうです。 御殿山のなまえの由来は 「山原から首里の御殿に納める材木置き場に指定されたから」と云われています。
与那原の方と話をすると、山原船が停泊したことを誇らしげに語ってくれます。 そして、、「やんばーらーが、いっちょんどー。あかしぬたむのーこんしょーらにー…♫ 」 (意:山原船が材木を積んで、入って来たよ〜♪ ) という唄を教えてくれました。楽しい唄でした!
御殿山

第三番目の拝所

親川-ウェエガア -与那原町


与那原町与那原にある霊泉。与那原町民の飲料水などにも利用されていた時期もあり大切な井泉(カー)です。
御殿山に降り立った天女が御子を出産したときに、産井(ウブガー)に使ったと伝えられています。昔は、与那原の町民も天女と同じように産湯にこの井戸の水を使ったといいます。
天女も地元の人も同じ水を使っていたのって素敵ですね。 今では、囲いがされてしまって、水に触れることはできませんでした。また与那原町の伝統行事。【与那原大綱引き】の際に、 祭事が始まる時と終わる時には必ずこの【親川】で祈願をしています。
古の人々の霊泉は、いまでも大切に拝まれていることにじーんとしました。
親川

第四番目の拝所

場天御嶽-バテンウタキ -南城市佐敷


佐敷町にある場天御嶽(ばてんうたき)は、琉球三山統一を果たした尚巴志の祖父である佐銘川大主(さめがわうふぬし)が祀られている御嶽です。 残念ながら、ここはその移転先。元の住居跡は、シャーロット台風(S.34)で地滑りを起こし流されてしまったそうです。シャーロット台風での地滑りは大きかったようで、流されてしまった色々なウガンジュがこの場天御嶽に移されてきています。
東御廻りでこの地を拝するのは、王国と深く結びついた聖地としてはもちろん先祖が使った御水に感謝するためでもあるそうです。
緑に囲まれた、空気の違いを感じる場所でした。
場天御嶽

第五番目の拝所

佐敷グスク-サシキグスク -南城市佐敷


佐敷上グスクは、琉球三山を始めて統一した初の王様、尚思招(しょう ししょう)と、尚巴志(しょう はし)親子の居城跡です。この親子は、佐敷上グスクから大里グスク→中山城(ちゅうざんぐすく)を攻め滅ぼし、三山統一の国王になりました。
居城跡の階段を登っていき、一番眺めの良いてっぺんに
佐銘川大主(尚巴志の祖父)
尚思招(尚巴志の父)
尚巴志
尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳の8対を合祀したつきしろの宮が建立しています。
ここは、林の中の清らかな風が吹いている気持ちのいいところでした
佐敷グスク

第六番目の拝所

佐敷グスク-サシキグスク -南城市佐敷


南城市の海辺にあるテダウッカー。
テダとは、太陽を意味する言葉です。1度目の東御廻りの時は、たたきつけるような雨と風で車中からの礼拝となった場所でしたが、2度目はお天気が良く念願かなって歩いて行くことが出来ました。
かつては井泉だったそうですが、今は残念ながら水はありません。テダ(太陽)という言葉の通り、太陽神がここに降臨したと伝えられているそうです。
国王や聞得大君が久高島を参拝するときには、無事に船が航海できるようにと祝女(ノロ)たちが航路安全を祈願したのだそうです。
テダ御川
斎場御嶽

第七番目の拝所

斎場御嶽-セーファウタキ -南城市知念


斎場(セーファー)は最高位を意味しており、斎場御嶽(セーファーウタキ)は最高の御嶽という意味になるそうです。
聞得大君の就任儀式 「御新下り(おあらおり)」が行われた場所でもあったそうです。敷地内には6つのイビ(神域)があって、首里城内の施設名と同じ拝所が3つありました。久高島から持ってきたという白い砂が敷かれていました。
斎場御嶽久高島 この場所は近世になって岩壁が崩れたことによって久高島を遥拝することができるようになったところ。
琉球の創世神であるアマミクは、クバの木を伝って降臨するとされています。

かつて琉球の御嶽はすべて男子禁制で、斎場御嶽では庶民は入口の御門口(うじょーぐち)を越えて入ることは出来なかったそうです。
私達はこの時代に生きているからこそ、自由に出入りできるのですね。

ご先祖さま達が大事にしてきた場所を汚さないように、
壊さないように後世に残していきたいものです。
知念グスク

第八番目の拝所

知念グスク-チネングスク -南城市知念


知念グスクは、古城(コーグスク)と新城(ミーグスク)の2つが連なるように建てられています。
古城(コーグスク)は野面積み石垣、新城(ミーグスク)は切石積み石垣だそうです。この写真は新城の方です。古城は門から中に入って左奥の方にあるようでしたが、危険なので今は立ち入り禁止になっていました。築造時期にはかなりの時代差があるそうです。
中には、火の神が祀られているところや久高島の遥拝所もありました。このグスクは、宗教的要素がとても強いようで、アマミキヨが初めて降りたったグスクとも言われているそうです。グスクの前にはノロの屋敷跡も。どんな暮らしをしていたのだろう~。
知念グスクは2011年に行った時も、2013年も工事中でした。かなりの大規模な修繕工事が行なわれているようでした。完成までは、あと数年かかるのだとか!昔の石畳の道も残っていて、今は補修工事のトラックが通るためアスファルトで保護しているのだそう。どのようにグスクがよみがえるのか、工事終了が楽しみです。
知念大川

第九番目の拝所

知念ウッカー-チネンウッカー -南城市知念


知念グスクのそばにあるこの泉は、知念グスクに水を供給する泉だったといわれています。水源は石灰岩の奥にあるといわれています。きっと貴重な水源だったのでしょうね。

少し高くなったところには拝所もありました。そして、知念大川から坂を上っていくと、左手に稲作発祥の地、ウファカルがありました。
沖縄の稲の発祥地として有名なのは次の拝所【受水走水】です。受水走水だけが発祥の地だと思っていたので他の土地にも伝説があることを初めて知りました。少しの山道を歩いて行くとぽかんと空が開けて泉が湧いています。
良い水が流れているので草木の緑もキレイです。
受水走水

第十番目の拝所

受水走水-ウキンジュハインジュ -南城市玉城


ここは南城市百名の海岸近くを山の方に入ったところにある、稲作発祥伝説の地です。
鶴が海を渡って稲穂を運んできたという伝説があります。

おだやかに水が流れる受水(ウキンジュ)と、速く流れる走水(ハインジュ)。写真は走水です。
2013年に行った時は、ちょうど稲が植えられていました。
現在も稲の始まりを神に感謝する行事が地域によって
執り行われているそうです。その際に稲植えもするそうなので、
行事が終わったあとだったのでしょうか

第十一番目の拝所

ヤハラズカサ -南城市玉城


ヤハラヅカサから山の方に上ったところにある浜川御嶽。
ヤハラヅカサは、海の中にあります。干潮時には全貌を現すそうです。
干潮のときでなければ渡ることができず、間近で拝むことができないのだそうです。残念ながら1度目も2度目の時もヤハラヅカサは海の中で、少しだけ見える状態でした。
この拝所は、琉球祖先神のアマミキヨがニライカナイ(神の理想郷)から渡来して沖縄本島に降り立った最初の地だそうです。
ヤハラズカサ

第十二番目の拝所

浜川御嶽-ハマガーウタキ -南城市玉城


ヤハラヅカサから山の方に上ったところにある浜川御嶽。
浜川は、海辺の湧き水のこと。その泉がハマガー(浜川)という御嶽名になったといわれているそうです。
ここは、ヤハラヅカサに降り立ったアマミキヨが仮住まいをした地で、この浜川の清水で旅の疲れを癒して、東御廻り13カ所目のミントングスクに移動したそうです。
今は、本来水が流れていたところにカニが住みつき?水が流れ出る場所が変わってしまっているのだとか。
浜川御嶽

第十三番目の拝所

ミントングスク -南城市玉城


琉球の創生神"アマミキヨ"はヤハラヅカサに降り立ち、浜川御嶽で仮住まいをし、 グスクを築いてここに安住したと云われています。2013年に私たちが行った時には、先にお二人の女性がお重にごちそうを盛っていらっしゃいました。お二人に声をかけたところ、『祖先のお墓参りにきたところよ~』と笑顔。
祖先…?わたしにとっての祖先のお墓参りは、祖父や遠くても曾祖父の代くらいまでの感覚。こちらのお二人にとっての祖先のお墓参りは…。「はだかの世(ゆ)ー」(人類がまだ衣服を身につけていなかった頃のこと)の祖先までも敬って、お墓参りをしているのです。沖縄の祖先崇拝の奥の深さ。心の深さに感銘を受けました。
ミントングスク

第十四番目の拝所

玉城城-タマグスクグスク -南城市玉城


アマミキヨが築いた沖縄最古のグスクのひとつ、玉城グスク。
この岩石をくりぬいた珍しい門は緻密な計算をして作られたものだそうで、夏至と冬至の日にはまっすぐ太陽の光が差し込むそうです。

見る場所にもよりますが、くりぬかれた形がハートのようにも見え、ニライカナイへの入り口だとも云われます。
門をくぐってグスクから出る時の眺めは最高です。
この中がグスクの主郭で、干ばつの際は国王自らが儀式を行ったと記されている雨乞いの御嶽があります。
玉城城

東御廻りを通して

1度目の東御廻りはお天気が悪く、雨風が強くて大変でしたが、
2回目はなんと!工事中で、門をくぐって中に入ることが出来ませんでした。
次回こそ、お天気の良い日に入れますように!


こうして、しよんの東御廻りは無事終わりました。
沖縄、琉球の文化の素晴らしさ、先人の巧みな技。精神世界の高さ。
と…学ぶことがたくさんあり、貴重な東御廻りを巡礼できました。
土地の神様にもあいさつが出来た気分になっています。

皆さまにも『マース袋』を通じて
沖縄の素晴らしさをお伝えしたいです。
東御廻りの旅に長くお付き合いいただきましてありがとうございました!

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